クトゥルー神話とは何か?

Detailed Explanation (may be) of Gods of CTHULHU MYTHOS

                        記号の集合体としてのクトゥルー神話

クトゥル-神話(Cthulhu Mythos)は、創作史上、特異な存在です。今日的かつ単純な言い方をしてしまえば、「巨大な記号の集合体」となるでしょう。クトゥルー神話の要素たりうる書名、地名、神名、組織名等の様々な固有名詞は勿論、クトゥルー神話特有の概念(外宇宙から来た生物が神と呼ばれ、後、別な存在に依って封印される等)、クトゥルー神話にありがちな話の展開(小説に登場する邪神が実在していた等)と言った要素の数々が、いずれもクトゥルー神話を構成する記号として作用するのです。クトゥル-神話には世界観に関する共通認識も、設定の継承も、個々の事件における時間的な繋がりも必要としません。矛盾する設定も世界観も問題無く受け入れられます。シリ-ズものでもなく、シェア-ド・ワールドでもなければ、ホラ-のサブジャンルですらありません。                                                     但し、ホラーでもSFでもなく、それらを縦断もしくは横断していく一つのジャンルであると言う言い方は出来るかも知れません。しかもそれは小説に限定されず、映画、漫画、ゲーム、音楽、ありとあらゆるものが対象となりうるのです。                                                                   何でもアリの創作物群、それがクトゥルー神話と呼ばれるものなのです。

                                                                                                          クトゥルー神話の成り立ち

 元々は同人作家だったハワード・フィリップス・ラヴクラフト(H・P・Lovecraft)と言う人物がはじめた遊びでした。彼が創造した神々や土地、書名等の固有名詞を他の作家も使い、一方、他の作家の創造した固有名詞を彼も使う・・・かくして共通の固有名詞が作家間で飛び交う事になったのです。                                                  この遊びに加したのはラヴクラフトと交流のあったクラーク・アシュトン・スミス(Clark・Ashton・Smith)ロバート・E・ハワード(Robert・E・Howerd)フランク・ベルナップ・ロング(Frank・Belknap・Long)、にはオーガスト・W・ダーレス(August・W・Derleth)、ドナルド・ワンドリイ(Donald・Wandrei)、ロバート・ブロック(Robert・Bloch)、リチャード・F・シーライト(Richard・F・Searight)、ヘンリー・カットナー(Henry・Kuttner)、ロバート・AW・ロウンズ(Robert・A・W・Lowndes)、ドゥエイン・W・ライメル(Duane・W・Rimel)と言った人々でしたが、固有名詞に付随する設定などは各作家で独自に作っていました。例えばラヴクラフトもスミスもアザトースを祖とする神々の系図を作っていましたが、互いに違っており、アザトースの捉え方にしても異なっていました。しかし、それでも彼等は構わなかったのです。こうした設定は作品ではなく各作家間の書簡で主に伝えられ、半ば楽屋オチ的に名前だけが脈絡無く作品中に示される事も少なくありませんでした。完全に書き手たちのお遊びだったのです。特にラヴクラフトやスミスに至っては設定そのものをあまり重視している様子が見られず、極端に言えば、この二人の場合、昨日と今日では設定に矛盾が生じる様な事でも一切構わず書いていたのではないかと想われます。いえ、そもそも昨日、その場のノリで手紙に書き飛ばした内容をきちんと憶えていたかどうか・・・想うに二人には、その時々で書いている事だけが大事だったのではないでしょうか。                                            そして、ラヴクラフトは自作や、固有名詞を使い合った他の作家達の作品群、つまり自分達の遊んだものをクトゥル-神話とは呼びませんでした。 

クトゥル-神話の名付け親が誰なのかは、はっきりしていません。けれどもダ-レスがこの名称を使っていたのは確かなようです。彼は一群の作品の発端を”The Call of Cthulhu”に求めたのでしょう。しかし、これは彼の限界を示してもいます。想うにダ-レスと言う人は極めて真面目な人だったのでしょう。或いは彼はラヴクラフト達が遊んでいた事に気付かず、手法の一つとしてしか捉えていなかったのかも知れません。いずれにせよ、彼はラヴクラフトの死後、アーカムハウスと云う出版社を興してラヴクラフトの作品を纏めて世に出すだけでなく、ラヴクラフトやダーレスと交流のあった作家達の作品も世に出して行き、又、ラヴクラフトの遊びに参加した結果の作品群をクトゥル-神話と名付けて世に出しました。けれどもダーレスは体系付けを行おうとはしませんでした。或いはオーガスト・ダーレスと言う人は残したかっただけなのではないでしょうか。ラヴクラフトの名前と作品と彼に関わる様々なものを・・・そして、ダーレスにとってはクトゥルー神話もまたラヴクラフトの一部に過ぎず、クトゥルー神話が生き残る事はラヴクラフトの一部が生き残り続けると云う事だったのではないかと想われます。ダーレスはアーカムハウスから新たなクトゥル-神話作家を世に送り出して行きましたが、その際、独自の舞台で独自の作品を、ラヴクラフト作品の借り物ではない作品を書く様に指導したと云う事です。元々、クトゥルー神話は作家毎に独自の世界があり、そこで名前の貸し借りが行われていた遊びでした。ダーレスはその様式まで残そうとしたのでしょう。

ダーレスの死後、アーカムハウスはクトゥル-神話から距離を置き、クトゥル-神話はときたま何処かの出版社がアンソロジーを出すくらいになりますが、以前からもあった同人誌での発表はますます盛んになって行った様です。ここにバランタイン・ブックスでフンタジーやクトゥルー神話関連の出版物の編集をやっていたリン・カーター(Lin・Carter)と云う人が出て来ます。彼は過去の作品からだけでなく書簡で語られていた存在にも注目し自作に取り込み、神話の体系付けを行っていきました。
 
カーターの死後はケイオシアム社のテーブルトークRPGがカーターの設定や他の書き手達の作品も取り込んで独自の設定を構築し発展して行きます。一方、カーターの遺産管理者でもあり学生時代から同人誌クトゥルーの穴(Crypt of Cthulhu)を出していたキリスト教神学者のロバート・M・プライス(Robert・M・Price)をはじめとした人々がクトゥルー神話のアンソロジーを出して行く様になりました。わけてもプライスの出すサイクル本と呼ばれるアンソロジー・・・例えばダニッチサイクル(Dunwich Cycle)、アザトースサイクル(Azathoth Cycle)、南極大陸サイクル(Antarctica Cycle)と云った本では、ラヴクラフトに作品のインスピレーションを与えた作品と、逆にラヴクラフトの作品にインスパイアされた作品とを収録したりしています。南極大陸サイクルで言えば、当然収録されているラヴクラフトの「狂気の山脈にて」/「狂気山脈」(At the Mountains of Madness)は元々エドガー・アラン・ポオ(Edgar Allan Poe)「ナンタケット島のアーサー・ゴードン・ピムの物語」(The Narrative of Arthur Gordon Pym of Nantucket)の続編的なものであった事からポオの長篇をそっくりそのまま収録する一方、南極の描写や展開でラヴクラフトに多大な影響を与えたとプライスが考えるジョン・テイン(John Taine)の長編The Greatest Adventureも収録しています。更に今度はアイデアやプロットを「狂気の山脈にて」に負っているジョン・ウッド・キャンベルJr.(John Wood Campbell) 「影が行く」(The Thing from Another World)、アーサー・C・クラークの書いたショートパロディ「陰気な山脈にて」(At the Mountain of Murkiness)までも収録してそれらの作品をクトゥルー神話として取り込んだりしています。
一方でケイオシアムのテーブルトークRPGも負けてはいません。クトゥルー神話的な展開やアイデアを持った過去のホラーやSF作品を取り込んで行きました。例えばウィリアム・ホープ・ホジスン(William Hope Hodgson)のカーナッキものの一作「外界の豚」(The Hog)に登場する豚の化け物は、実はクトゥルー(Cthulhu)ヨグ=ソトース(Yog-Sothoth)と同じく古きものの一員である・・・と云った具合にです。
こうして先人達の過去の作品のクトゥルー神話化が成される一方、かつて盛んだった同人誌に代わってネットで次々と新作や埋もれていた旧作が公開され続け、又、ホラーやクトゥル-神話関連に特化した小出版社からも新たな小説が世に出たりしています。
つまり、クトゥル-神話はラヴクラフトたちが書き、ダーレスが拾い集め、カーターが体系化し、今日現在、過去と未来に向かって年を追う毎に増殖し続けているものなのです。
そして、それらは途轍も無くスケールの大きな遊びなのです。創る側にとっての遊戯であり、受け取る側にとっての娯楽なのです。
クトゥル-神話とは、謂わば、ラヴクラフトが仲間うちと遊んだ玩具であり、それを良く判らないまま拾い集めて玩具箱に入れて蓋にクトゥル-神話と筆書きしたのがダ-レスなら、玩具箱の中身を整理して綺麗に並べ直したのがカ-タ-なのです。そして、今では多くの人々がカーターの整理した箱に次々と玩具を並べ続けているところで、こうして過去と未来に向かって増殖し続ける一連の創作群がクトゥル-神話と呼ばれるものなのです。                                                                       
 
 
Detailed Explanation (may be) of Gods of CTHULHU MYTHOS