Detailed Explanation (may be) of Gods of CTHULHU MYTHOS
ズヴィルポグーア
1934年 初言及文書:クラーク・アシュトン・スミス"Letter to R.H.Barlow June 16th"
1934年 言及文書:クラーク・アシュトン・スミス"Letter to R.H.Barlow Sept 10th"
1945年 言及作品:H・P・ラヴクラフト/オーガスト・ダーレス「暗黒の儀式」
1979年 登場作品:グラハム・マスタートン「The Revenge of Manitou」
1984年 登場作品:リン・カーター「The Feaster from the Stars」
1991年 登場作品:ロバート・M・プライス「The Round Tower」
2006年 言及作品:リチャード・L・ティアニー「The Prayer of Yzduggor the Apostare」
別名
オサダゴワ(Ossadogowah)
呼称
星々から饗宴に来たりて貪るもの(The Feaster from the Stars)
闇の支配者(Dark Overlord)
黒き王(BlacK Lord)
ツァトゥグァ(Tsathoggua)の息子で召喚されると父に似た姿でアルゴールから飛来すると云われています。元はクラーク・アシュトン・スミス(Clark Ashton Smith)がR・H・バーロウ(R H Barlow)宛の書簡に記した存在でしたが、その時のツァトゥグァの家系図にはツァトゥグァとシャタク(Shatak)の間に産まれた存在となっていました。けれどもその四ヵ月後にバーロウに宛てた書簡では、スミスはクシャクス(Chushax)かジシャイク(Zishaik)のどちらかが産んだ存在としています。10年後の1944年に、同人誌Acolyteに最初の書簡の内容が掲載され、ズヴィルポグーアの名が公になりました。リン・カーター(Lin Carter)も読んでいた様です。そして、最初の方の書簡分が元になっていたので、カーターもズヴィルポグーアの母をシャタクとして記憶していた様です。
一方、ツァトゥグァの息子を最初に作品に登場させたのはオーガスト・ダーレス(August Derleth)でした。しかし彼はスミスと仲が良かったにも関わらず、同人誌に載ったツァトゥグァの家系図の存在を知らなかったか無視していて、1945年にラヴクラフトのメモを元に中篇にして発表した「暗黒の儀式」(The Lurker at the Threshold)に登場させたツァトゥグァの息子はオサダゴワ(Ossadogowah)と云う名前になっていました。もっとも、これは「サダゴワ、すなわちツァトゥグァの子供」と云う意味なので固有名詞ではありません。それでもこの名は独り歩きし、グラハム・マスタートン(Graham Masterton)も「The Revenge of Manitou」でインディアンの諸霊達の中でも強大な存在としてオサダゴワの名を出しています。今日、オサダゴワがズヴィルポグーアの別名に過ぎず両者が同一存在であると見做されているのは、ひとえにスミスがツァトゥグァの息子を一人としているからでしょう。
一方、カーターは同人誌Crypt of Cthulhuの26号に発表した「The Feaster from the Stars」ズヴィルポグーア自身をその名で登場させています。ズヴィルポグーアとしての名前での小説作品への登場は、これが最初です。
なお、スミスはクニガティン・ザウム(Knygathin Zhaum)の母であるスファトリクルルプ(Sfatlicllp)をズヴィルポグーアの娘としていますが、ズヴィルポグーアの妻については何も語っていません。
関連項目
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